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- 真崎村(近世)とは
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![]() | 真崎村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 真崎村(近世) 江戸期の村名豊前国田川郡のうち中元寺川上流域に位置するはじめ虫生村といった小倉藩領猪膝手永に属す村高は,「人畜改帳」では虫生村と見え1,441石余,「正保国絵図」846石余,「元禄国絵図」1,008石余,「天保郷帳」1,412石余,「旧高旧領」1,287石余元和8年の家数173・人数396(男227・女169),牛54・馬36(人畜改帳)宝永7年の田川郡村々万覚書によれば,高1,121石余,竈数129・人数647,牛馬93氏神は住吉社地内には真崎炭鉱,大友氏の臣蔵地左近の居城という竜円城跡がある慶応2年の長州藩との交戦に際しては,藩主の奥方一行が当村庄屋家に立ち寄り昼食をとった郷帳類では真崎村1か村として記されるが,藩内の嘉永5年の調査では上・下2か村に記され,江戸後期までに上真崎村と下真崎村に分かれたとみられる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」