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- 清水村(近世)とは
「清水村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 清水村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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![]() | 清水村(近世) 江戸期~明治13年の村名... |
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![]() | 清水村(近世) 江戸期~明治7年の村名安曇【あずみ】郡のうち乳川【ちがわ】左岸に位置する縄文時代~平安期の九津・北山平遺跡の存在から,この地域が古代から中世まで日照時間が多く安全な場所であったことが知れる天正10年12月12日の上杉景勝朱印状案によれば,上杉景勝から安堵された所伊賀守の所領中に「清水 参拾貫文」が見える(続錦雑誌/信史15)また同年10月27日に小笠原貞慶が倉科朝軌に安堵した安曇郡内の所領中に「曽山分正科 七貫五百文 同清水道かいと,三貫五百文」とある(倉科文書/同前15)同14年5月10日,小笠原貞慶から倉科朝軌の跡地を同盛軌に安堵しているが,そのうちにも「同(曽山分)清水道かいと拾三貫七百六十九文」が見える(同前/同前16)江戸期は松本藩領松川組に属する村高は,「慶長改帳」345石余,「正保書上」「元禄郷帳」ともに321石余,「天保郷帳」458石余,「旧高旧領」512石余慶安3年松川組村々御検地高人別帳(清水家文書)によれば,高318石余,名請人36明暦元年以降23回の新切・畑田成検地が行われ,幕末まで村高の増加が見られた(大町市史)和田川堰の開削後,特に,嘉永2年の検地では,5町9反余・49石余の大規模な新田開発が行われている安政2年安曇筑摩両郡村々明細書上帳(県史近世史料5-1)によれば,家数105・人数599清水村と上一本木村の氏神は,ともに神明宮寺院は仁科三十三番札所の一つである曹洞宗慈眼山清水寺寺伝によれば,西の大洞山の平坦部に開基したが,2度の火災で集落南西部に移転したという明治4年松本県を経て筑摩県に所属同7年常盤村の一部となる... |
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![]() | 清水村(近世) 江戸期~明治8年の村名... |
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