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- 土居村(中世)とは
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土居村(中世) 織豊期に見える村名長岡郡のうち天正17年の本山郷地検帳に「土居村」と見え,当村分の面積は86筆で8町3反余,うち田5町9反余・畠8反余,屋敷1町5反余,屋敷数16うち居屋敷6本山氏の本拠地で,同地検帳には,「本山御土ゐ四方ツイ地」と見え,築地を巡らした2反余の屋敷を構えていたことがわかり,付近に「ヒガシ土居」「ニシキト」「キトノ谷」などの地名が見える本山氏は,平地と海港を求めて南部に進出し,朝倉城に拠って勢力を伸長させ,土佐・吾川【あがわ】両郡から高岡郡東部にまで支配を広げたが,その後瓜生野【うりうの】の戦いに敗れて長宗我部氏に降伏した江戸期には十弐所村・永古味村・永田村・十王堂村・新堂村・ニセイタイ村・イセイ谷ノ村とともに本山村と称したが,土居村の呼称も残った |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
土居村(中世) 戦国期に見える村名越前国丹生北郡志津荘のうち土井とも書く文明10年12月25日の年紀を有する越知山年中行事に「円智坊定頭下地ハ一所土井」と見え,越知山円智坊の知行分があったことが知られる享禄2年5月の越知山大谷寺神領坊領目録にも「在所志津庄土居村 壱所山屋敷」とある(越知神社文書)この山屋敷からは7年に1度,野口村に「宮正月米」4升,「祇園」の米代50文を納めていた現在,清水町の笹谷の小字野口の西方山間部に「コチラツツイ」「アチラツツイ」の字名を残す谷があることから同地付近が土居村の遺称地と推定されるなお野口にある乗泉寺の由緒書(清水町史)によると,同寺の開基渡部了珍が天正12年同寺を建立する前,一時「志津之庄笹谷村土井」に住んだとされている... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
土居村(中世) 織豊期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
土居村(中世) 織豊期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
土居村(中世) 織豊期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」