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「唐人町(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

唐人町(近世)


 江戸期~明治18年の町名...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7436421]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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唐人町(近世)

 江戸期~明治22年の町名

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

唐人町(近世)
江戸期~明治5年の町名都城城下の1町都城城の北西に位置する地名の由来は,渡来した中国人が居住したことにちなむ天正15年明末の乱を避けて,多数の明人が都城領の飛地大隅国内之浦に入港し,都城領主11代北郷時久はこの明人を安永(現庄内町)の諏訪に住まわせて唐人町をたてたこれが当町名の始まりであるしかし,文禄4年8月北郷時久は祁答院(宮之城)に移封されたため,この唐人町の人々も連れていった(都城市史)庄内の乱後,慶長5年11月北郷氏は宮之城から旧領都城に復帰し,このとき湯田八幡を宮丸村に祀り,その鳥居前に唐人町をおいた(現在の八幡町の地)元和元年都城領主が都城城山から新地に移り,都城領主館を中心に街づくりをした唐人町は本町の北に移された「庄内地理志」の文化・文政年間の地図によると,本町につづき北側に唐人町144間半と見える本町・唐人町ほか4町には別当・小別当がいて,その上に町中取(武家)がおり,1人は本町・三重町・後町を受け持ち,他の1人は唐人町・三日町・八日町を受け持っていた町中取の上に町奉行(武家)がいて統轄した町には小別当の下に横目・定目行司・用聞・町同心がいた別当ははじめ武家だったが,のち町人の手に移った「庄内地理志」によると唐人町茶1,000斤・代銭300貫文とあげられている正保3年清国広州海県の元明人何欽吉一行は,清の統治を避けて大隅内之浦に漂着,都城の唐人町に住んだ医術に長じ,15代領主久直未亡人春嶺に仕えた(庄内地理志)明治5年中町と改称した...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

唐人町(近世)
 江戸期の町名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

唐人町(近世)
 江戸期~明治5年の町名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

唐人町(近世)
江戸期~明治8年の町名明治4年からは小田原駅を冠称江戸期は小田原城下の武家町もと小笠原小路または一町田小笠原町と呼ばれた町人町のうちであったが,寛永末年同町の一部が武家地に割かれ唐人町と呼ばれた町名は,小田原北条氏の頃に中国人が集住していたことに由来する慶長11年小田原に宿泊した朝鮮通信使を訪ねた中国人葉七官は,自ら唐人村に住むと伝えたが(海槎録),この唐人村が当町を指すかは不詳大手門前の大手小路から東へ町人町の新宿町までの地で,出入口が設置されていた寛永11年将軍徳川家光は上洛に際し当町を通って小田原城へ入城したことから,当町から大手小路への大道は将軍御成道となったまた藩主帰城の際,藩士は当町東端で出迎えた小田原城下を描いた嘉永図によれば(小田原城天守閣所蔵),100石以上の中堅家臣層の屋敷が多いなお町域の中ほど南側に北村透谷の生家がある幕末,祖父玄快は42石元禄16年の大地震では全戸倒壊,文化14年の大火では全焼の被害をうけた明治8年小田原駅万年町の一部となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

唐人町(近世)
江戸期~明治15年の町名江戸期は広島城下広瀬組に属す広島城の南西,本川西岸本川土手に沿う西土手町から分岐する小路に沿う町名の由来は,「知新集」に「往古バンセイといふ唐人住ける故よへりともいひ,又寛永十七年案紙帖に一宦といふ唐人作りものなとし御扶持方を賜ハリ当地に久しく逗留せるよし」とある毛利氏時代山城国山科より移住した瓦師高橋利左衛門が瓦焼場を給され,また天正年間頃諸国から来た4人の瓦師も当地に住んだが,浅野氏入国ののち船入村に替地を与えられ移転(知新集)寛永2年の家数改では本家21・借屋7「知新集」では西土手町との結び町として町間数1町51間余,家数43・竈数27(本竈8・借竈19)・人数101,職人数の記載はない明治11年広島区の町名となる同15年塚本町となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

唐人町(近世)
江戸期の府内城下の町名町組府内町を構成する30町のうちの1つ府内庄屋支配に属す府内城の南にあり,北は檜物【ひもの】町,南は外堀,東は千手堂町組小物座【こもんざ】町,西は名ケ小路【みようがこうじ】町に接する貞享元年の「万覚」によれば,当町の南頬63間・北頬61間・道幅3間・南北の入15間・名ケ小路町堺の道幅2間明治8年まで府内町,同22年まで大分町に所属同年以降大分町大字大分の字名・通称地名として存続昭和20年7月16日夜および8月10日の米軍空襲により焼土となる昭和38年6月1日の新住居表示直前は字名は残っているが通称地名は使用されておらず,中央町に含まれている表示後は大分市府内町1丁目の一部となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

唐人町(近世)
江戸期の町名福江城下の1町五島藩主盛利が家臣の城下集住を実施したいわゆる「福江直り」は寛永11年に完了したといわれるが,その時に形成された町の1つ寛永11年の武家屋敷数は3(県史藩政編)地名の由来は,天文9年明人王直が通商のため深江(福江)に来航し,時の領主五島盛定が居住地を定めて歓待した地であることによる明人堂は,王直が祖先の霊を祀った廟堂といわれ,卵塔形の石碑と,玉法童女,生浄土と刻んだ石碑が併祀されている明治初期には福江村福江郷の一部となるただし,以後も通称名として残る現在の福江市福江町の一部にあたる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

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