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- 常盤町(近世)とは
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常盤町(近世) 江戸期~明治11年頃の町名江戸期は平戸城下本町通十六町のうちの1町また,平戸城下本町通六町の1つである崎方町に属する1町でもあった常槃町とも書いた平戸城の北西,平戸港北岸の西寄りにあり,山手町屋の背後は御館ノ坂に通じる海岸側の家並みは天文~寛永年間に埋立て造営されたオランダ商館の長崎移転後,平戸藩は現糸10丸をその代償として幕府から配分されるが,当町の町年寄谷川助左衛門は糸割符制復活の貞享2年,国貨物頭とともに再配分の御礼のため長崎に出向いている(御役所御手鑑)同年から元禄10年の廃止まで,現糸の受給総額は6,500斤,これに応じた糸割符増銀は114貫799匁であったこのうち町年寄をはじめとする町方の諸経費と地下町人に対する町方配分銀が全体の81%を占めたという(県史)寛政年間の町内には町年寄格などの上層町人,酒屋・問屋などの大型商店,鮪などの大網主が海岸沿いに立ち並んでいた一方,山手の町屋は鍛冶小路・地蔵小路・川の小路によって細かく寸断され,小間物屋・蒸菓子屋・豆腐屋などの小商人や日雇者が密集して前者と対蹠的な構成を示しているなお,元禄16年における町年寄谷川助左衛門と乙名谷川惣右衛門は大福町・祝町の町年寄・乙名をそれぞれ兼任していた明治11年平戸町に属し,同年頃崎方町の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
常盤町(近世) 江戸期~明治22年の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
常盤町(近世) 江戸期~明治22年の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
常盤町(近世) 江戸期~明治7年の町名江戸期は府中町,明治2年からは武生【たけふ】町の1町横町が文化年間頃に立石町・月貫町・常盤町に分かれて成立南は室町,北は立石町に続く,北陸街道沿いの町で,途中から西へ入ると,新在家通りから大虫・八田を経て海岸へ出る「南条郡誌」によれば,嘉永4年の町中家別により,本家43軒・地借16軒,庄屋歩行共とあり,明治7年の家数は81なお東側に本興寺があり,通りの北側に市姫神社がある明治7年有明町と改称... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
常盤町(近世) 江戸期の町名常磐町とも書いた伊丹【いたみ】村(伊丹町)を構成する27か町の1つ元禄年間までに成立現在の伊丹市宮ノ前2丁目の一部にあたる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」