ケータイ辞書JLogosロゴ 西分村(中世)


高知県>春野町

 戦国期に見える村名。吾川【あがわ】郡のうち。永正10年6月吉日の年紀を有する金峰神社棟札には「西分村蔵王権現社棟札」と見える(県史考古資料)。永禄11年の一宮社再興人夫割帳によれば長宗我部氏による一宮社再興の際に「木津賀地下衆西分」から74人の人夫が動員されている(土佐神社文書/古文叢)。天正17年の仲村郷喜津賀西分地検帳の冒頭に「土州吾河郡仲村郷喜津賀西分地検帳」と見え,喜津賀のうちであった。小村には応瀬村・大寺村・福市村・マスイノ村・イセノ宮村・遠田村・タイヨウ寺村・ヒノクチ・永谷川村・クシヲカ・川フチ村・土居畠村・市南村・中島村・岡瀬村・市ノ村・楠木畷村・旦過村・ミノ越ノ村が見え,これらの多くは西分を冠称する。また同地検帳には中村郷喜津賀分西諸木村地検帳が所収されており,西諸木村も西分に含まれていたと思われる。検地面積は126町5反余。西諸木村以外の地は木塚・森山氏の旧領であり,「喜津賀分」「森山分」と記されるが,そのほかにも有本名・一成名・新吉名・末久名などの名田もあり,それらが検地時には給地や扣地として分与されている。屋敷数207(春野町史)。「秦士録」によれば給人総数212人うち在地給人20・非在地給人192(同前)。大寺・旦過寺・宝台坊・正祐寺・東林坊・成満寺などの寺院名が見える。文禄4年4月13日の長宗我部盛親知行宛行状には「〈六ケ所〉合壱町弐分勺〈西分 内谷 吉原〉」と見え,当地などが宮地五郎左衛門に宛行われており(蠧簡集),同日付の長宗我部氏奉行連署状でも「合五反三代〈西分 吉原 仁之村 内谷〉」とあり,宮地五郎左衛門の給地となっている(同前)。文禄4年5月10日の長宗我部盛親知行宛行状によると,彦左衛門に宛行われた1町5反2分のうちに「喜津賀西分 九衛門殿分」と見える(同前)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7436833
最終更新日:2009-03-01




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