ケータイ辞書JLogosロゴ 相田村(近世)


福岡県>飯塚市

 江戸期〜明治22年の村名。穂波郡のうち。福岡藩領。村高は,「慶長国絵図」492石余,「正保郷帳」449石余(田401石余・畠47石余),「元禄国絵図」449石余,「天保郷帳」690石余,「旧高旧領」686石余。枝村として上村が見える(続風土記)。産土神は八幡宮で,仲哀天皇・神功皇后が登ったという伝説のある笠木山の故地に社を建てたが,延宝年間現在地に祀る。浄土宗久峰山宝幢寺は,庄司村本誓寺の末。明治初期の人家は本村・古野・西河内・大山・中村・上相田・須尭にあり,戸数83・人口388(男201・女187),田55町余・畑12町余・山322町余,物産は石炭・石灰,正租は米・大豆298石余,雑税は米・大豆8石余と金2円余,池19,牛52・馬1,石炭礦場7(地理全誌)。明治7年,松本潜が伊藤伝六・中野徳次郎を現場担当者として相田炭鉱を始め,川津村大行事から遠賀川水運を利用して石炭を積出した。この炭鉱から,後に高雄炭鉱に発展し,筑豊屈指の大炭鉱になる(明治鉱業社史)。同22年二瀬村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7437860
最終更新日:2009-03-01




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