ケータイ辞書JLogosロゴ 秋松村(近世)


福岡県>筑後市

 江戸期〜明治9年の村名。上妻郡のうち。はじめ柳川藩領(田中氏),元和6年からは久留米藩領。江口組に属す。村高は,「元禄国絵図」160石,「在方諸覚書」の古高370石,「天保郷帳」227石余,「旧高旧領」667石余。村民は坂東寺熊野権現の社人をつとめた(寛文寺社開基)。源範頼に討たれた平家の残党を葬ったという平家塚があり,防戦につとめた平家の流血で染まり,また赤旗を掛けた故事から通称赤井手という溝筋がある。天正年間秀吉下向の際に軍を通した軍路,馬を洗ったという馬洗川,竜造寺隆信が山下城を攻めた際林を焼き払ったということから焼林川と称する地がある(筑後秘鑑)。諏訪神社境内に若宮社,火産霊社,恵比須社,延宝年間勧請の熊野神社,文久5年創建の白滝社とその境内の日吉神社がある(稿本八女郡史)。文化4年の本田14町7反余・開田2町7反余・畑田1町7反余・畑16町4反余・居屋敷4反余,春免高411石(農政農民史料集)。明治9年山ノ井村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7437957
最終更新日:2009-03-01




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