ケータイ辞書JLogosロゴ 安雲村(中世)


福岡県>新吉富村

 鎌倉期〜戦国期に見える村名。豊前国上毛郡のうち。安雲荘とも見える。正応3年10月4日の関東下知状(宇都宮文書/県史資料10)で,宇都宮通房が「安雲村」の替所として豊前国佐田荘地頭職を宛行われている。弘安9年閏12月28日の岩門合戦勲功地配分注文(比志島文書/天満宮史料8)によれば,通房は上毛郡内原井村・阿久対村を恩給されており,当村も同じころ宛行われたものか。室町期に入り大内氏が北九州に勢力を伸ばすころ大内氏の重臣内藤氏がこの地を支配した。文明16年2月25日の宇佐の万徳坊領田畠坪村惣帳(到津文書/大分県史料1)に糸永名は法花供米料所として内藤智得が寄進したとあるが,その注に内藤氏は以前は安雲荘内6石の供米を社納していたと記されている。なお内藤智得は応永27年8月22日に上棟した宇佐宮西湯殿を造進している(到津文書/同前30)。その後,戦国期の年未詳10月13日付内藤隆春坪付注文(萩藩閥閲録99‐1)には安雲村が見える。ジョアン・ロドリゲスの「日本教会史下」に「(1550年)公爵(大内義隆)に仕えていた他の貴族のなかにキリスト教に対して大変心を寄せている異教徒が一人(内藤殿)いた。彼は福者パードレ・フランシスコからデウスのことをいろいろ聞いていて福者パードレに心から共鳴し,万事につけ便宜を計った」とある内藤殿が内藤隆春であると思われる。彼はルイス・フロイスの1556年1月7日付マラッカ発イエズス会会友宛書翰でキリシタンになったことが知られる。また,年未詳11月1日大友宗麟知行預状(大友家文書録/大分県史料32)に「上毛郡之内□(安カ)雲」20町が見え,田村宗切に安堵されている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7437965
最終更新日:2009-03-01




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