ケータイ辞書JLogosロゴ 安雲村(近世)


福岡県>新吉富村

 江戸期〜明治22年の村名。上毛郡のうち。はじめ小倉藩領,貞享2年からは小倉新田藩領。岸井手永に属す。村高は,「正保国絵図」430石余,「元禄国絵図」620石余,「天保郷帳」629石余,「旧高旧領」629石余。元和8年当時は,御蔵納・御姫様御領とあり,家数29・人数52,牛7・馬3(人畜改帳)。享保の大飢饉では111人の餓死者を出した(開善寺過去帳)。慶応2年の第2次長州戦争に伴い藩主小笠原貞正は田川郡香春【かわら】から移って,当村光林寺に本陣を置き,のち千束へ移る。「築上郡志」によれば,慶応3年には東安雲村・西安雲村に分かれており,内高はそれぞれ388石余・276石余であった。若八幡神社・光林寺がある。明治21年の戸数69・人口335,反別67町2反(県史資料3)。同22年西吉富村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7437966
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ