ケータイ辞書JLogosロゴ 阿志岐(中世)


福岡県>久留米市

 南北朝期から見える地名。筑後国御井郡および山本郡のうち。鎌倉期末の文保2年9月日の玉垂宮師子勾当薬師房重陳状案(高良神社文書/三潴郡古文書集)に「高良王子阿志岐社」とあるが,これは平安期天慶7年の成立といわれる「筑後国神名帳」(高良神社文書/県史資料5)に見える「安子奇命神」(高良玉垂命第八王子)に相当する。南北朝期の観応3年2月11日に足利直冬が草野一族の上津荒木五郎次郎に「阿志岐村内壱町,泉又六跡」地頭職を宛行っている(草野文書/県史資料4)。下って戦国期の文亀2年,草野中務少輔が大友義長に安堵を要請した「本新望之地」の中に下阿志岐40町があり,義長はこれに判形を与えたが,6年後の永正5年にはこれを改め,阿志岐上下80町を高良社に安堵した(座主坊文書/県史資料7)。その坪付状には「山本郡 拾町上,三井郡 拾町下」とあり,阿志岐村が中世には御井・山本両郡にわたっていたことを示している。以後阿志岐村は高良社領として代々守護大友氏から保障を受けた。なお「高良玉垂宮神秘書」によれば,阿志岐は高良社八人神官領のうち小祝領とされ,また大祝衣服田42町のうち20町が阿志岐村に設定されていた。また,文禄2年3月18日の高良山神職各知行所数注文によれば,当地は39町の田地があり,20町大祝領他があった(高良大礼社文書/郷土研究筑後2)。天正15年豊臣秀吉によって御井郡は小早川氏の封地の一部に当てられたが,文禄4年12月1日に小早川秀俊が家臣の清水五郎左衛門尉に与えた知行方目録(萩藩閥閲録25)に「あし岐村」952石5升が含まれている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7437991
最終更新日:2009-03-01




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