ケータイ辞書JLogosロゴ 阿志岐村(近世)


福岡県>久留米市

 江戸期〜明治9年の村名。御井郡のうち。はじめ柳川藩領(田中氏),元和6年からは久留米藩領。安居野組に属す。村高は,「元禄国絵図」1,222石余,「在方諸覚書」の古高1,280石余,「天保郷帳」1,320石余,「旧高旧領」1,791石余。文化4年には田60町余・畑田4町余・畑52町5反余・居屋敷1町6反余(農政農民史料集)。用水は主として高良山の谷川の末流と山間の溜池による。鎮守は坂本山王宮と天満宮,ほかに高良玉垂神の9王子を祀る王子宮がある。西部を小倉〜薩摩坊津間の参勤街道が通り,久留米から豊後への街道は村内の追分で山辺道と平場道(中道とも称す)とに分岐する。山辺道の村境に元禄8年の御井・山本両郡の郡界石(市文化財)がある。古くは豊臣秀吉が九州平定の際村内に宿陣した吉見岳がある。この山をめぐり安永年間隣の府中町民と境界紛争が起こり,高良山座主や両村庄屋の努力で和睦,頂上に藩校教授樺島石梁撰文の永世和平の巨碑と琴平社を建立した。慶応元年西部に藩の製鉄所が設置される。明治2年茶臼山に招魂所設立。同9年山川村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7437992
最終更新日:2009-03-01




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