ケータイ辞書JLogosロゴ 集村(近世)


福岡県>苅田町

 江戸期〜明治22年の村名。豊前国京都【みやこ】郡のうち。小倉藩領。新津手永に属す。村高は,「正保国絵図」270石余,「元禄国絵図」277石余,「天保郷帳」403石余,「旧高旧領」404石余。元和8年の家数24・人数48(男21・女27),牛7,馬1,牢人1がいた(人畜改帳)。享保飢饉の餓死者は77人(開善寺過去帳)。字集に神集神社があり,字伊森に貴船神社がある。明治3年の戸数43・人口203(男94・女109)。同18年の地積は田30町余・畑4町余・宅地1町余(京都郡誌)。字池田の曹洞宗松山寺は戦国期の松山城代杉氏の菩提寺。天明年間の寺院聚録に見える苅田【かんだ】村市場の梅窓庵が明治9年移建され発展したもの。同22年苅田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7438019
最終更新日:2009-03-01




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