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- 荒木郷(古代)とは
「荒木郷(古代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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荒木郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」伯耆【ほうき】国八橋【やばせ】郡六郷の1つ「あらき」には「荒木」と「新墾」の意味がある前者は「切り出して多く加工せぬ木材」のこと,後者は「荒地を墾き新田を開発する」ことをいう荒木郷の位置は大山山麓であり,地形的に後者の地名由来が妥当と考える大山山麓のさらに詳細な比定地ははっきりしない加勢蛇【かせいち】川中流域で東伯【とうはく】町のうちの旧上郷村・下郷村・栄村か,それとも勝田川の上・中流域で赤碕【あかさき】町のうちの旧成美【なるみ】村・以西【いさい】村の地域が想定地となっている(県郷土史・県史1)加勢蛇川流域に比定すると,古布・荒木・八橋・方見の4郷が立地することになり,生産地域に比べて郷が多すぎる勝田川上・中流域を比定するのが妥当であろう赤碕町のうちの旧成美村・以西村の地域である |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
荒木郷(古代) 奈良期~平安期に見える郷名「和名抄」筑前国宗像【むなかた】郡十四郷の1つ伊勢本・東急本は「安良木」と訓む天平勝宝4年11月17日の僧法栄優婆塞貢進解には「筑前国宗像郡荒城郷」と見え,当郷の戸主宗形朝臣人君の戸口宗形部岡足が優婆塞として貢進されている(正倉院文書/大日古編年3)「太宰管内志」は現在の宮田町上有木・下有木を遺称地とし,「地名辞書」も同説で近代の笠松村が郷域かとするが,「太宰管内志」には現在の宗像市河東を古く荒木村と称したという記載があり,詳細は不明... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
荒木郷(古代) 平安期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
荒木郷(古代) 平安期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
荒木郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」越後国頸城【くびき】郡十郷の1つ高山寺本は「荒木」につくり,訓を欠く東急本は「原木」につくり,「阿良木」の訓を付す「地理志料」は,現在の新井市から妙高高原町にかけての一帯に比定する一方,「地名辞書」は,現在の上越市青木付近に比定する... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」