伊岐須村(近世)
江戸期〜明治22年の村名。穂波郡のうち。はじめ福岡藩領,元禄元年直方【のおがた】藩領,享保5年から再び福岡藩領。村高は,「慶長国絵図」398石余,「正保郷帳」363石余(田320石余・畠42石余),「元禄国絵図」363石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに481石余。産土神は高宮八幡宮。浄土宗宝生寺は明暦年間頃から庄司村本誓寺の末寺になったといい,本尊虚空蔵仏の背書に天正20年8月開堂と記す。安楽寺は西本願寺末で,元和2年寺号・木仏を許される(続風土記付録)。明治初期の戸数42・人口214(男110・女104),田31町余・畑8町余・山35町余,物産は石炭,正租は米・大豆239石余,雑税は米・大豆7石余と金2円余,池12,牛26・馬1,石炭礦場1,小学校の生徒数は男40・女1(地理全誌)。寺子屋教育は,高宮八幡宮神主青柳氏が享和年間より付近の子弟を教授していたのを,文久2年安楽寺住職が引き継ぎ,明治7年まで続く。それが新学制に受け継がれ伊川小学第一区と呼び,同10年伊岐須小学校と改称(伊岐須校史)。明治期以降,この地域は石炭産業の発展によって人口急増するが,山本文吉の伊岐須炭鉱があった(二瀬町誌)。明治22年二瀬村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7438168
最終更新日:2009-03-01