ケータイ辞書JLogosロゴ 池田(中世)


福岡県>玄海町

 鎌倉期から見える地名。筑前国宗像【むなかた】郡のうち。池田郷とも見える。建治2年正月12日の尼めうあミた仏譲状に「いけたのやしき,おなしきいけた五段」とあり,「せんかなしのすきやうとののこけ御前」に譲られている(宗像神社文書/鎌遺12202)。また,乾元2年6月の宗像社領田代并立用以下目録の中に「池の田」がある(応永社家文書総目録/宗像郡誌中巻)。南北朝期の正平23年宗像宮年中行事には「池田若宮」または「池田若宮社」が見える(神道大系神社編宗像)。次に,応永神事次第の永享9年3月7日追記部分中の,「三所宮長日御供仕立申薪・野菜・塩・和布等事」では,「第二・第三ノ薪ハ,一旬ニ二五駄ツゝ,同菜ツト一ツゝ入。池田郷役也」とあって,池田郷からは,薪・野菜を宗像社に納めている(同前)。戦国期の天文20年11月23日の温科慰重給田畠屋敷坪付等注進状からは,池田郷に温科慰重の所領3反小があったことがわかる(竹井文書/県史資料5)。次に,永禄4年6月1日,宗像氏貞が宗像神社の「諸社之御祭礼立用米」に寄進をした100町の中に「池田郷十町」がある(宗像神社文書/宗像郡誌中巻)。さらに,天正15年2月14日の池田郷御米注進状では,8石2斗1升7合とあって,立用分を除く7石8斗1升7合が御倉納とされている(嶺家文書/県史資料2)。天正年間の「指出前之帳」によれば,池田村の地積・分米は田62町余・773石余,畠16町余・75石余,合計78町余・849石余。文禄4年の筑前鞍手宗像御牧三郡内知行方目録帳では,鞍手郡いけた村として849石4斗5升とある(小早川家文書1/大日古)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7438189
最終更新日:2009-03-01




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