ケータイ辞書JLogosロゴ 石崎村(近世)


福岡県>筑紫野市

 江戸期〜明治22年の村名。筑前国御笠郡のうち。福岡藩領。文化年間には山家触に属す。もとは針摺村の内にあって,「慶長国絵図」「正保郷帳」には当村名の記載がない。慶安元年より開発され,寛延4年新田地となりその後針摺村から分かれたという(続風土記拾遺)。村高は,「元禄国絵図」では針摺村枝郷として10石余,「天保郷帳」でも針摺村枝郷として11石余,「旧高旧領」161石余。博多より甘木に向かう日田街道が通り,松尾社があった(続風土記付録)。享和2年の高161石余(蔵納高10石余・給知高151石余),田14町余・畠3町余・山林1万坪,家数21・人数105(男62・女43),馬2・牛11,堤は1か所で,田8町余は古賀村大井手の水掛り,商人1・紺屋1・鍛冶2がおり,畠では粟・琉球芋・大豆・小豆・大角豆・蕎麦・辛子苗・大根・野菜を作り,刈敷場は山口村・平等寺村山(明細記/高原家文書)。天保6年和平夫妻が孝子として賞せられた(筑紫遺愛集)。明治初期の戸数21・人数101(男48・女53),牛10・馬4,田15町余・畑3町余・大縄畑2反余・山林7町余,物産は櫨実・菜種・鶏卵・菓子・麹,正租は米・大豆45石余,雑税は米・大豆1石および金2円余,池3か所のうち1か所は天保4年の築造,薪・秣に不足した(地理全誌)。明治22年山口村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7438216
最終更新日:2009-03-01




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