ケータイ辞書JLogosロゴ 一条村(近世)


福岡県>筑後市

 江戸期〜明治22年の村名。筑後国上妻郡のうち。はじめ柳川藩領(田中氏),元和6年からは久留米藩領。川瀬組に属す。村高は,「元禄国絵図」303石,「在方諸覚書」の古高525石,「天保郷帳」430石余,「旧高旧領」1,118石余。天正17年の検地では田畑16町(家勤記得集)。寛文3年再興の八幡宮(祭礼9月29日)と石神社(祭礼10月1日)がある。延宝8年郡役人と古賀組大庄屋指導で字南原に新塘を築く。元禄5年に字南原・風穴に新塘を築き,開田2反余の用水となった。貞享元年,壇を築いて南岡に残っていた石人1基を堂内に安置し,路を開き木を植えて顕彰した(同前)。文化4年の本田31町余・開田3町3反余・畑田5町1反余・畑38町余・居屋敷1町余,春免高818石(農政農民史料集)。嘉永4年頃より医師諸熊三達と久留米藩士日笠栄太郎はそれぞれ寺子屋を開いた。明治5年一条町を合併。同7年開設の一条小学は,同9年下広川小学校の支校となった。同17年の戸数174・人口901。同22年下広川村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7438296
最終更新日:2009-03-01




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