ケータイ辞書JLogosロゴ 糸村(近世)


福岡県>田川市

江戸期の村名豊前国田川郡のうち遠賀【おんが】川支流中元寺川上流域の丘陵地に位置する「和名抄」位登郷,中世位登荘の遺称小倉藩領猪膝手永に属す村高は,「正保国絵図」500石余,「元禄国絵図」995石余,「天保郷帳」1,366石余,「旧高旧領」1,303石余元和8年の家数170・人数306(男172・女134),牛44・馬30(人畜改帳)宝永7年の田川郡村々万覚書によれば,本高1,168石余・物成647石余,本免4ツ4分,反別は田71町余・畠23町余,竈数103・人数542,牛馬77(田川市史)享保飢饉の餓死者は325人(開善寺過去帳)一説によれば,天明4年上糸村・下糸村に分かれたともいい(豊前村誌),嘉永5年の文書などでは,当村は上糸村・下糸村に分けて記され,藩内ではそれぞれ独立村として扱われることが多かった明治初年までに正式に上糸村と下糸村に分かれた
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7438350
最終更新日:2009-03-01




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