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- 稲吉村(近世)とは
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稲吉村(近世) 江戸期~明治4年の村名豊後国速見【はやみ】郡八坂【やさか】荘のうち八坂川の右岸に位置する文禄4年前田玄以領,慶長元年杉原長房領,同4年中津(のち小倉)藩細川領,寛永9年木付(のち杵築)藩小笠原領,正保2年から同松平領村高など不詳慶長16年の「小倉藩人畜改帳」では杵築廻りの下八坂村に入り,「正保郷帳」でも下八坂村となる正保以後は新庄村の中に入るが,新庄村・日明【ひあけ】村を合わせて新庄組といい,庄屋は初期が富来家で,のちに佐藤家に代わる西側の台地に村落があり,山間のわずかの田畑と海を埋めた新開地を持つ小さな溜池と八坂川南用水を利用して,米と七島藺【しちとうい】を作る農間余業には七島表(畳表)を織った鎮守は片野村の宝財八幡社元亨元年創建で,御神幸は片野村の納屋【なや】と1年交替で行う南の山腹に天満社があるが創建は不明猪尾【いのお】村の浄願寺門徒が多く,法要の際に稲吉村の人で雅楽(越天楽など)を奏する明治4年新庄村・日明村・野多村と合併して日野村となる現在の杵築市大字日野のうち |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
稲吉村(近世) 江戸期~明治10年の村名因幡【いなば】国法美【ほうみ】郡のうちもとは矢津村と称し,天保12年領内限りで改称した(藩史5)鳥取平野中央部,旧袋川と天神川とに挾まれた平坦地に位置する鳥取藩領村高は,拝領高485石余,「元禄郷村帳」531石余,「天保郷帳」536石余(うち新田高50石余),「元治郷村帳」537石余,「旧高旧領」543石余元禄の本免は5.3,「元治郷村帳」の物成は249石余戸数は,「因幡志」10,「文久3年組合帳」7寛保年間以後鉄砲杭がたてられ禁猟区となり,幕末には藩の薬草園が設置された「因幡志」によれば,北東は百谷川を隔てて立川村と接し,産物には荷葉があるまた,氏神は稲荷大明神,祭神は倉稲魂で,因幡大明神・因幡天とも称し,寺は黄檗宗覚性山雲光寺がある明治4年鳥取県,同9年島根県に所属同年の戸数136・人口514(鳥取市史)同10年卯垣【ぼうがき】村の一部とともに立川村に合併... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」