ケータイ辞書JLogosロゴ 今古賀村(近世)


福岡県>三橋町

 江戸期〜明治22年の村名。筑後国山門【やまと】郡のうち。文禄4年12月1日付の筑後国知行方目録に「今古賀村」の石高として321石6斗9升が挙げられている(立花文書/県史資料4)。柳川藩領。宮永組に属す。村高は,「元禄国絵図」536石余,「天保郷帳」542石余,「旧高旧領」685石余。平浄庵には大庄屋下川茂左衛門家歴代の墓がある。茂左衛門家は文化13年〜慶応4年まで宮永組大庄屋を勤めた。藤吉村への道堤防わきには今古賀番所があった。この近くに良質の水源があり,殿様の水として知られ,この水を柳川町内に売り歩いた時代もあった。城内村の水源池が設けられたのもここである。平浄庵の南正寿庵(天台宗)の境内に庚申尊天(弘化2年銘)の三池街道道標があるが,道標の元の位置は不明。明治18年熊本〜長崎間の国道が北部を旧道に沿って開通した。同22年宮ノ内村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7438442
最終更新日:2009-03-01




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