- JLogos検索辞書>
- 今里村(中世)とは
「今里村(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
今里村(中世) 鎌倉期に見える村名伊勢国河曲【かわわ】郡のうち「三長記」建永元年6月29日条に見え,江嶋御厨と河南御厨との相論対象となっているこの相論には実検使史生定宗が派遣され,同書同年9月10日条に摂政近衛家実は「河曲(南カ)取帳」につき,定宗に詳細を尋ねせしめている比定地未詳だが,相論からみて鈴鹿市江島町内に求められる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
今里村(中世) 鎌倉期に見える村名吾妻【あがつま】郡のうち鎌倉末期~南北朝期に成立したと推定される「大中臣氏略系図」によれば,承久年間頃の常陸国那珂郡地頭の中郡六郎太郎経元の一門が拝領した所々の1つに「上野国吾妻郡内今里村〈那珂彦五郎妻知行之〉」と見え,那珂氏の所領であったことが知られる比定地未詳... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
今里村(中世) 室町期に見える村名播磨国加古郡のうち永享6年8月日に作成された正平9年8月日付の注進状案に「今里村」と見え,当村にも住吉大社造営の費用が割り当てられている(住吉松葉大記巻第21/明石市史資料5)現在の播磨町古宮に比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」