ケータイ辞書JLogosロゴ 今任(中世)


福岡県>大任町

 鎌倉期から見える地名。豊前国田川郡のうち。鎌倉初期と推定される弥勒寺喜多院所領注進状に「今任四十丁」と見える(石清水文書2/大日古)。その後,「宗像神社文書」中の応永16年宗像社家文書総目録によれば,当地は貞治4年足利義詮によって社務俊代に軍功の賞として与えられ,応安4年には「今任地頭職」が氏俊から弥松に譲られたらしい(豊前国荘園史料1)。一方,南北朝末期の元中元年,征西将軍宮良成親王の令旨をもって「今任庄」が肥後阿蘇社に寄進されている(阿蘇文書1/大日古)。宗像氏は北朝方として活動し,阿蘇氏は菊池氏とともに九州における南朝勢力の中心であった。従って今任地頭職がそれぞれ南北両朝から恩賞として与えられたもので,当然今任の在地においても南北両勢力の角逐があったであろう。延元4年今任荘に隣接する戸代山城に菊池武重,大善寺城に菊池武光が在城(豊陽古城記),康平年間には下今任に明神山城が曽我祐有によって築かれたと伝えるなど南朝勢力はおよそ30年間続いた。この間,伊予河野氏の記録「予章記」には,正平21年のこととして「豊前今塔御陳ニテ一族中談合」とある(群書21)。下って室町中期の長禄3年6月2日,足利義政が大和梅茶法師にその所領を安堵しているが,その中に和泉・但馬・備後・参河などの所領と並んで「豊前国今任并得重・垣弘等」とある(平沢勘吉氏所蔵文書/越佐史料3)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7438459
最終更新日:2009-03-01




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