ケータイ辞書JLogosロゴ 今福村(中世)


福岡県>高田町

 戦国期に見える村名。筑後国三池郡のうち。戦国期の造立と推定される地福寺(三橋町高畑)の板碑銘に「筑後州三池北郷今福村」と見えるが,三池氏等知行坪付(田尻文書/佐賀県史料集成7)の田尻氏知行村付には「今福上下六十六町」とあるので今福村がある時期から上・下に分村したことが分かる。元来今福は三池氏の知行地であったと思われるが,天文19年7月三池親員が菊池義武と結んで大友義鎮に対抗した時,同28日の大友義鎮感状によれば,大友方の田尻親種は三池氏の被官小山山城守の拠る今福新開陣所を攻めてこれを落とした。今福上下66町のうち15町が田尻氏の知行地となるのはこの時からであろう。天文22年9月15日には,さらに上今福のうち建興寺分3町が田尻親種に与えられている。また田尻鑑種が竜造寺氏に帰順した天正7年以降の下今福村等田地坪付には,下今福33町と「宮房殿分」上今福33町があるので,今福は上・下とも竜造寺氏から田尻氏に安堵されたものと思われる(以上,同前)。同10年鑑種は竜造寺隆信に背いて肥前に改易となり,同15年以降立花宗茂領となった。なお文禄4年筑後国知行方目録(立花文書/県史資料4)の村高は,上今福村が860石1斗1升,下今福村が903石7斗4升となっている。その後上今福村と下今福村は再び一村となったらしく,以後の史料には今福村としてのみ見える。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7438464
最終更新日:2009-03-01




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