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- 今福(中世)とは
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今福(中世) 戦国期に見える地名筑前国夜須郡のうち文明12年3月3日の少弐政資知行安堵状(大内氏実録土代/博多史料2)に少弐政資が大宰府観世音寺留守坊房顕の当知行分を安堵した所領中に「今福ノ内立石谷六町」と見えるなお天正16年10月2日,宗像大宮司氏貞の後室から宗像社今宮殿に供料として寄付した夜須郡200町の田地のうち,「四反坪之内 壱段 今福村慶福寺分」が見えるまた,天正年間の「指出前之帳」によれば,夜須郡のうちに今福村が見え,地積・分米は田9町余・125石余,畠2町余・8石余,合計11町余・132石余現在比定地は,先の文明12年3月3日の少弐政資知行安堵状に立石谷を含むから,旧立石村にあった甘木市の堤・柿原・平塚・一木・来春【らいは】付近であろう |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
今福(中世) 戦国期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」