ケータイ辞書JLogosロゴ 今丸村(近世)


福岡県>吉井町

江戸期〜明治9年の村名筑後国生葉【いくは】郡のうち耳納【みのう】山地東部の北方,筑後川中流左岸の微高地上に位置するはじめ柳川藩領(田中氏),元和6年からは久留米藩領寛保3年国友貞八が30石を知行(給知高帳)石井組に属す村高は,「元禄国絵図」145石余,「在方諸覚書」の古高30石,「天保郷帳」「旧高旧領」ではともに164石余宝暦年間頃の役高は84石,庄屋文平は福久村庄屋も兼任(在方諸覚書)嘉永元年頃の作柄は「大凡田方六俵,粟作六俵」(廻村書留)文化4年の耕地は田3町余・畑田1町余(農政農民史料集)水利は大石・長野水道享保5年6月の大山汐・大洪水では大きな被害を蒙り,3〜5割の損毛となった(石原家記)当村居住の医師安元宣庵は,大坂に遊学して古林見宣に医術を学んだが,元禄元年中小姓格・目医,同15年御医師に列せられた(久留米人物誌)氏神を祀る天神・薬師堂がある(寛延記)明治9年千年【ちとせ】村の一部となる現在の吉井町千年の一部にあたる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7438472
最終更新日:2009-03-01




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