ケータイ辞書JLogosロゴ 今吉名(中世)


福岡県>吉富町

 鎌倉期〜戦国期に見える名の名。豊前国上毛郡のうち。今吉名は成恒名22町9反のなかの1名田であり,弘安10年5月2日の相良迎蓮譲状(相良文書/鎌遺16253),相良迎蓮田地坪付在家注文(同前/同前16254)のなかに今吉名2町9反3丈,本在家の1つに今吉薗が見える。成恒名は建長元年に宝治合戦の勲功によって迎蓮(頼俊)の父長頼が賜わったものであり,すでにそのなかに今吉名もあったものと思われる。室町期に入り今吉名は楞厳寺のものとなり,応永6年3月3日の大内義弘安堵状(新田文書/大分県史料8)で祖噩蔵主禅師に楞厳寺免田畠として安堵された。以後,応永16年7月25日大内盛見安堵状・文明12年2月16日大内政弘安堵状でも今吉名は上毛郡牧菊丸8町とともに楞厳寺に安堵されている(同前)。なお,今吉御薗は,文治年間より豊前国貫荘内の宇佐神領として宇佐宮番長大夫永弘氏により代々知行されていた(永弘文書/大分県史料4)。文明15年4月28日の書状(同前/同前12)によれば,永弘氏は今吉御薗田畠・屋敷等の下作職を銭10貫文で貫伊勢守助世に永代売り渡している。この段階では毎年賽銭600文を宇佐宮に社納することを義務づけられていた。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7438485
最終更新日:2009-03-01




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