ケータイ辞書JLogosロゴ 弥永名(中世)


福岡県>三輪町

 南北朝期に見える名【みよう】の名。筑前国夜須郡のうち。観応3年2月に書写された安楽寺領注進状案に「弥永名〈灯油并仁王講田〉」と注記されている(太宰府天満宮文書/南北朝遺3340)。その規模や以後の状況,さらには当名が安楽寺(太宰府天満宮)領となった時期やその経緯などについても全く明らかでない。また同文書には「弥永小金丸」という名も見られるが,当名に関係するものかもしれない。戦国期には楢原備後守高利という土豪の拠った小鷹城があり,のち楢原氏が秋月氏(種実)に臣従してから同城は,その出城となったという。いわゆる秋月氏24城の1つに数えられ,城番には重臣が当てられたという。また当地には深江氏が弥永城を築いたとも伝えられている。なお天正年間の「指出前之帳」によると,夜須郡弥永村(枝村の隈郷村を含む)の地積・分米は,田20町余・416石余,畠9町余・60石余,合計30町余・476石余である。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7438492
最終更新日:2009-03-01




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