ケータイ辞書JLogosロゴ 岩熊村(近世)


福岡県>勝山町

 江戸期〜明治22年の村名。京都郡のうち。小倉藩領。黒田手永に属す。村高は,「正保国絵図」440石余,「元禄国絵図」274石余,「天保郷帳」434石余,「旧高旧領」422石余。元和8年の家数166・人数299(男167・女132),牛40・馬38,総庄屋岩熊孫兵衛がいた(人畜改帳)。元禄年間までに矢山村を分村した。享保飢饉の餓死者は48人(開善寺過去帳)。字山付には寛政年間はじめて集落が成立したという(京都郡誌)。字岡には若宮八幡神社,字栗屋には今宮神社があった。明治3年の戸数41・人口209(男109・女100)。同18年の地積は田32町余・畑3町余・宅地2町余(同前)。小学校は明治6年設立,翌7年には求心小学校と称し,教員1,生徒数は男29・女8。同19年字橋本に移築,岩熊・矢山・浦河内・宮原の児童を収容(学校沿革史・京都郡誌)。同22年諫山【いさやま】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7438504
最終更新日:2009-03-01




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