ケータイ辞書JLogosロゴ 岩屋村(近代)


福岡県>豊前市

 明治22年〜昭和30年の自治体名。はじめ上毛郡,明治29年からは築上郡に所属。大河内・岩屋・篠瀬・鳥井畑・求菩提【くぼて】の5か村が合併して成立。旧村名を継承した5大字を編成。役場を岩屋に設置。明治24年の戸数390・人口2,000(男1,026・女974),厩265,寺院2,学校2,水車場2(徴発物件)。豊前地方の奥地でありながら過疎化現象があまり見られないのは,八屋岩屋街道(八屋甘木線)が早くから開け,大正末期には,隣りの合河村までバス路線が開通していたことにもよる。村の大部分が山林・原野で,農地は岩岳川流域の段丘状耕地で,田畑は全面積の6.3%に過ぎない。農林業は盛んで,昭和22年の従事者は68%を占める。木材は戦前は八屋町まで馬車輸送。豊前檜は良質で市場性も高い。岩岳川を利用した製材・精米は早くから行われており,大正11年枝河内に岩岳水電の発電所建設,同12年岩岳川本流の産家に移転。鳥井畑の山本製材所は,製材用に発電所を建設し夜間は一般家庭の電灯用に電力を供給していたが,岩岳水電の産家移転に伴い閉鎖。岩岳水電は岩屋・合河地区のうち600戸内外の家庭に電力の供給を続けたが,昭和13年九州水力電気会社に吸収。犬ケ岳を中心とする東西数kmのツクシシャクナゲの群落には無数の老樹が自生しており,昭和40年国天然記念物に指定。また,昭和31年大辺家の庭の広葉杉,同43年求菩提山のヒメシャガ群落・国玉神社境内のボダイジュが県天然記念物に指定された。国玉神社には昭和28年国宝に指定された銅板法華経のほか多くの国重文がある。世帯数・人口は大正10年331・1,714,昭和29年352・1,890。同30年豊前市の一部となり,村制時の5大字は同市の大字に継承。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7438537
最終更新日:2009-03-01




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