ケータイ辞書JLogosロゴ 牛隈村(近世)


福岡県>嘉穂町

 江戸期〜明治22年の村名。嘉麻郡のうち。元和8年上下村から分村して成立という(続風土記付録)。ただし,「元禄郷帳」「天保郷帳」では上下村枝郷と注記される。福岡藩領。村高は,「元禄国絵図」1,010石余,「天保郷帳」1,017石余,「旧高旧領」1,014石余。産土神は,馬見村の馬見大明神を勧請して白馬大明神ともいったが,明和4年荒穂社と改称した。下牛隈13戸の産土神は天満宮である(続風土記付録)。明治初期の人家は本村・大下・中ノ門・原田・鎌手・不動丸・松法師【まつぼし】にあり,戸数80・人口400(男220・女180),田73町余・畑12町余・山48町余,物産は石炭,正租は米・大豆404石余,雑税は米・大豆12石余と金4円余,池7,牛53・馬7,石炭砿場が2か所あり,鎌手にある小学校の生徒数は男42・女2(地理全誌)。明治7年大村嘉八宅を借り,牛隈・上下・貞月3か村で牛隈小学を設立する。生徒数30人内外。同8〜9年の頃,この3村に光代・下臼井の2か村を加えて,光代に校舎新築して光代小学と称す。同14年光代小学を廃し,同校舎を牛隈字鎌手に移築して牛隈小学と称する(嘉穂郡誌)。明治8年上下村を合併。同22年大隈村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7438580
最終更新日:2009-03-01




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