ケータイ辞書JLogosロゴ 内浦村(近世)


福岡県>岡垣町

 江戸期〜明治22年の村名。筑前国遠賀郡(寛文4年御牧郡が改称)のうち。福岡藩領。近世後期高倉村の枝村として記されている。虫生津【むしようづ】触に属す。村高は,「慶長国絵図」431石余,「正保郷帳」398石余(田351石余・畑48石余),「元禄国絵図」501石余,「天保郷帳」510石余,「旧高旧領」501石余。集落は本村・名切・平山・海蔵寺・谷。鎮守は若宮大明神社,寺院は禅宗福聚山海蔵寺・浄土宗英霊山円通院の長源寺・真宗妙光山法応寺(続風士記拾遺)。西には湯川山,尾根続きに海蔵寺山,南には行重山がある。南部にある垂水越は宗像郡へ出る峠として,古来大宰府官道が通っていた。小和田川筋などに橋梁4,灌漑用池が9か所ある(地理全誌)。うつろ貝という大型の貝を産する。当村の猿楽役者亀石太夫は,宗像の田島宮で8月15日に舞をつとめ,笛鼓も当村より出した(続風土記)。岡村勝衛は慶応3年より開塾し,明治元年には生徒21名を数える。海蔵寺山からの伏流水は東部の井桁付近に集まり沼を形成するが,ここに山伏が誤ってはまり込んだという古事により「やんぶし」という小名が残る。明治初期の戸数67・人口353(男178・女175),牛46・馬9,田30町余・畑10町余・大縄田1町余・山林68町余,特産物は生蝋・紙,正租は米・大豆255石余,雑税は米・大豆7石余と金4円余(地理全誌)。明治7年内浦小学校を設立。同22年岡県【おかあがた】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7438632
最終更新日:2009-03-01




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