ケータイ辞書JLogosロゴ 馬見村(近世)


福岡県>嘉穂町

 江戸期〜明治22年の村名。嘉麻郡のうち。天保年間以降に東馬見村を分村。はじめ福岡藩領,元和9年からは秋月藩領。村高は,「慶長国絵図」1,699石余,「正保郷帳」1,266石余(田1,108石余・畠158石余),「元禄国絵図」1,909石余,「天保郷帳」2,018石余,「旧高旧領」1,225石余。「旧高旧領」では東馬見村が別に記載されている。産土神は,馬見大明神社。古くは馬見山頂に社があったというが,そのあとに小祠があって御神所という(続風土記付録)。この神社は,嘉麻郡の惣社という(太宰管内志)。また,白馬大明神ともいい,葦毛の馬を忌むので,この村で飼わないだけでなく,他所からも来させなかった(続風土記)。「続風土記」の「土産考」には,馬見川は稀ながら鯢魚【さんしよう】を産し,膈噎の病を治療するため生きたまま飲むとある。明治初期の人家は本村・能里・宮小路・小寺原・神木にあり,戸数95・人口455(男240・女215),田60町余・畑14町余・大縄田2町余・山29町余,物産は干柿・葛粉,正租は米・大豆455石余,雑税は米・大豆13石余と金2円余,池4,牛74・馬3,第8大区郷社兼村社の馬見神社がある(地理全誌)。明治8年東馬見村を合併。同22年足白村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7438649
最終更新日:2009-03-01




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