ケータイ辞書JLogosロゴ 宇美村(近世)


福岡県>宇美町

 江戸期〜明治22年の村名。粕屋郡のうち。福岡藩領。旅石触に属す。枝郷に新原村・障子岳村があった(元禄郷帳・天保郷帳)。村高は,「慶長国絵図」1,778石余,「正保郷帳」1,911石余(田1,802石余・畠188石余),「元禄国絵図」1,363石余,「天保郷帳」1,644石余,ほかに枝郷の新原村102石余・障子岳村533石余,「旧高旧領」1,630石余。枝郷の新原村は元和4年藩命で開墾された新田村で,のち分村(続風土記拾遺)。東の砥石山麓に枝郷障子岳村があったが,元和4年別村となったという(続風土記)。また集落の北側に枝郷鳴原村,東側に枝郷早見村があった。寛政5年の人数995,うち男555・女440(須恵町誌)。弘化3年の組頭6。寛政5年に庄屋小林家は酒造業を始め,「万代」の銘柄で知られる。同家は天保年間には大庄屋となった。宇瀰八幡宮と浄土真宗西派光雲寺や信行寺がある。明治初期の戸数277・人口1,333(男660・女673),田114町余・畠28町余・山林1,315町余・新開地8町余,物産は石炭・生蝋・櫨実・酒・醤油・酢・生石灰・小麦・薪など,溜池10,正税は米・大豆985石余,雑税は米・大豆29石余と金21円22銭余(地理全誌)。同8年障子岳村を編入。同22年宇美村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7438654
最終更新日:2009-03-01




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