ケータイ辞書JLogosロゴ 潤野(中世)


福岡県>飯塚市

 鎌倉期から見える地名。筑前国穂波郡のうち。苽生野とも書く。保元元年,粥田経遠は,その所領の「潤野」以下3か村を京都の延勝寺へ寄進している(宇佐大鏡)。建長2年6月2日の藤原資経処分状(勧修寺家文書/嘉穂地方史古代中世編)によると,藤原(勧修寺)資経は妻と思われる阿古御前に「穂並(穂波)」荘内の潤野を譲っており,勧修寺家が同荘の領家職を,延勝寺が本家職を持っていたらしい。つまり,当地は鎌倉期には穂波荘に含まれていたことが確認される。永正14年3月26日の筑紫百宝子丸所領坪付(筑紫古文書/嘉穂地方史古代中世編)に嘉(麻か)郡の筑紫氏の所領中に「一所苽生野三十町」と見えるが,それはこの潤野のことであろう。天正9年11月6日,戸次鑑連(道雪),立花宗茂(統虎)らに率いられた大友勢は,潤野原で秋月勢と戦っている(横大路文書・児玉韞採集文書・小野文書/同前)。天正年間の「指出前之帳」には「壬野村」と見え,田27町余・分米433石余,畠5町余・分大豆34石余とある。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7438681
最終更新日:2009-03-01




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