ケータイ辞書JLogosロゴ 永満寺村(近世)


福岡県>直方市

 江戸期〜明治22年の村名。筑前国鞍手郡のうち。明暦年間,上境村から分村して成立。以後は同村の枝郷として村名が見える(続風土記・元禄郷帳・天保郷帳)。福岡藩領。ただし,元和9年〜延宝5年および元禄元年〜享保5年は直方【のおがた】藩(東連寺藩)領。村高は,「元禄国絵図」625石余,「天保郷帳」639石余,「旧高旧領」635石余。天保10年の人数は男203・女205の合計408(鞍手郡誌)。鎮守は上境村の福智神社。寺院は天台宗大興山永満寺・浄土真宗普照山明元寺・曹洞宗琢磨山西福寺がある。江戸初期には高取焼の製作が行われ,村内宅間の南方には竈床の跡を残す。また檜・杉・槙・松などの美林も多く,鶉などの野鳥にも恵まれていた。地組と呼ばれる土地割替制を行っていたが,災害も多く,享保年間の飢饉時には餓死者69人を出している。産業は安政年間に仕組椎茸山が見られる(直方市史)。明治初期の戸数118・人口587,田33町余・畑29町余・山林128町余,牛73・馬27,産物は糀5石など(地理全誌)。同22年福地村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7438687
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ