ケータイ辞書JLogosロゴ 枝光村(近世)


福岡県>久留米市

 江戸期〜明治9年の村名。御井郡のうち。はじめ柳川藩領(田中氏),元和6年からは久留米藩領。五郎丸組に属す。村高は,「元禄国絵図」841石余,「在方諸覚書」の古高1,195石余,「天保郷帳」886石余,「旧高旧領」1,196石余。文化4年には田34町余・畑田1町9反余・畑39町余・居屋敷1町余(農政農民史料集)。用水は耳納山系の谷川の末流を利用。天満宮2社を鎮守とした。南端の小丘陵に,正徳4年〜享保13年肥前陶工を招いて磁器窯(朝妻焼)が開かれた。その東側に寛延2年7代藩主有馬頼徸が,日向国から招いた古月禅材和尚を開山とする福聚寺を建立。江戸初期城内祇園寺の僧が高良川から東の朝妻までの豊後街道両側に高良玉垂宮参道並木として杉を植え(石原家記),のちに千本杉といわれる。明治9年合川村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7438723
最終更新日:2009-03-01




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