ケータイ辞書JLogosロゴ 大犬塚(中世)


福岡県>三潴町

 戦国期に見える地名。筑後国三潴【みずま】郡のうち。永正5年11月筑後守護大友義長は山本郡草野の草野興秀に三潴郡大隈6町などの地を知行させたが,翌6年閏8月24日義長の家臣右衛門尉右並打渡状(草野文書/大日料9‐1)に「上三潴郡之内大隈五町五反」の代りに「同郡之内大犬塚十二町」を義長の御判に従って与えるとある。また,天正15年7月大善寺寺領注文によると,大犬塚に大善寺の寺領1町があった(歴世古文書/三潴荘史料)。なお,文禄4年12月豊臣秀吉が検地の上で柳川城主立花宗茂に与えた筑後国知行方目録(立花文書/県史資料4)に「八百参拾九石参斗七升 大いぬつか村」と見える。鎌倉期〜南北朝期に犬塚(墓)村があり,大犬塚は戦国期にその犬塚が大犬塚と小犬塚に分割されたものと思われる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7438798
最終更新日:2009-03-01




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