ケータイ辞書JLogosロゴ 大隈町(近代)


福岡県>嘉穂町

 明治22年〜現在の大字名。はじめ大隈村,明治25年大隈町,昭和30年からは嘉穂町の大字。明治22年の戸数306・人口1,640,地積は田49町・畑21町・山林63町など計166町。村役場が字森下に置かれ,大正15年飯塚警察署大隈分署が大隈警察署に昇格,昭和19年大隈保健所,同23年県立嘉穂農業高校大隈分校(定時制)が設置され,嘉穂郡南部の行政的な中心となる。また,商業・交通の要地としても栄える。昭和22年大隈中学校は大隈町・宮野村・足白村の1町2か村立として発足,翌年宮野中学校が分離。昭和24年の生徒数は,大隈中学校219,宮野中学校56。昭和47年大隈中学校・宮野中学校・千手中学校を統合して嘉穂中学校となり,同49年上西郷に新築移転,同年の生徒数192(嘉穂町誌)。警察は,昭和23年自治体警察大隈町警察署,同29年福岡県大隈警察署,同48年山田警察署と合併して上嘉穂警察署となる。曹洞宗麟翁寺には,筑前民謡「黒田節」ゆかりの母里太兵衛友信の墓と位牌があり,2・26事件の東京戒厳司令官香椎浩平の位牌も収める。北斗神社のクスノキは昔の大楠の子楠といわれ,昭和55年町天然記念物に指定された。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7438839
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ