ケータイ辞書JLogosロゴ 大坂(中世)


福岡県>犀川町

 鎌倉期から見える地名。豊前国仲津郡のうち。「宇佐大鏡」に見える本御荘18か所の1つ勾金【まがりかね】荘の四至に「東限大坂山」とある。その後,南北朝期観応3年3月10日の西郷有政宛某感状によれば,「去年八月十七日,武藤但馬守(資法)党類戸井兵庫允大坂ニ敗走之剋,崎山・大坂両方ニ関上防戦」とある(西郷文書/南北朝遺3367)。当地は仲津郡と田川郡を結ぶ要地として,適宜関所が設置されていた。下って永禄11年の某覚書案によれば,同年6月,毛利勢と大友勢との争いがあり,「都(京都)郡大坂山ヲ杉因幡守・西郷両人而取誘候」と見える(到津文書/大分県史料24)。なお,天正8年西郷谷の領主,大村不動ケ岳城主西郷刑部高頼は,大坂村の興正(興聖)寺参詣の帰路,馬ケ岳城主長野祐盛の兵に襲われ討死したという(京都郡誌)。また地区内には「インシウ城」があるという(豊前古城記)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7438847
最終更新日:2009-03-01




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