ケータイ辞書JLogosロゴ 大野原村(近世)


福岡県>浮羽町

 江戸期〜明治9年の村名。生葉郡のうち。江戸中期頃に原口村が東原口村・西原口村・大野原村に分かれたことにより成立。はじめ柳川藩領(田中氏),元和6年からは久留米藩領。田代組に属す。村高は「旧高旧領」226石余。「元禄郷帳」「元禄国絵図」「天保郷帳」では原口村一村として記される。当地は,はじめ原口・山北両村に属する「凡そ15町四方」(筑後志)の原で,開墾後大野原開として聞次1を置いた(在方諸覚書)。寛文13年大庄屋田代重栄が獺瀬から地蔵岩に至る18町30間余に岩盤をくりぬいた隧道袋野水道を作り,東西両原口村,東西両大石村,大野原の水利を開き,延宝7年その子重仍が地蔵岩以西の溝渠を整えた(吉井町誌)。宝暦年間頃の役高は133石,久留米より8里(在方諸覚書)。文化4年の耕地は田1町余・畑田3町余・畑35町余(農政農民史料集)。明治9年三春村の一部となる。現在の浮羽町三春のうち。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7438906
最終更新日:2009-03-01




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