ケータイ辞書JLogosロゴ 小河荘(中世)


福岡県>田主丸町

 南北朝期〜戦国期に見える荘園名。筑後国竹野郡のうち。観応3年2月日書写の安楽寺領注進目録に「筑後国一円」として,「小河庄〈凶徒押領〉」とある(太宰府天満宮文書/天満宮史料11)。荘園成立期の事情が全く不明だが,享徳3年8月日の安楽寺公文所の下文には「小河別府」とあり,祭田楽酒直弁進を命じられている(西高辻文書/県史1‐下)。永正6年12月15日大友氏の代官右馬頭親賢は,「筑後国竹野郡内小河庄七拾町,蜷河分拾町」を,小河藤五郎に渡した(小河文書/県史資料10)。その後永禄3年8月19日には御祭騎馬の貫首として小河荘が関係していたことが見える(大鳥居文書/県史1‐下)。近世の小川村にあたる地域だと考えられる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7438967
最終更新日:2009-03-01




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