ケータイ辞書JLogosロゴ 御手水村(近世)


福岡県>勝山町

江戸期〜明治20年の村名豊前国京都【みやこ】郡のうち京都・田川郡界をなす大坂山(飯岳山)の北麓に位置する地名の由来は「村内に名水あり,景行天皇行宮近キ地ナレバ,此水ヲ御手水ニモ物シ賜ヒシヨリノ名ナルベシ」(豊前志)とか,また「往古大原足尼命ニ……此水ヲ献ス依テ御手水ノ井ト云後世因テ邑名トナル」などの説がある(御手水村誌)しかし清水をいうショウズに上記の伝説が付会され,その頭に「御」がついたものにすぎないなお,京都郡内には中黒田の御清水【おしようず】,障子ケ岳のショウズなど十数か所の小字がある小倉藩領久保手永に属す村高は,「正保国絵図」140石余,「元禄国絵図」143石余,「天保郷帳」218石余,「旧高旧領」235石余元和8年の家数32・人数44(男24・女20),牛8・馬1(人畜改帳)享保飢饉の餓死者は65人(開善寺過去帳)字村中に大祖神社があり,妙見社ともいった飯岳山麓に曹洞宗飯岳山宗川寺があるもと宗泉寺と称し,飯ケ岳権現の宮寺であったが,天正年間廃絶,のち小庵をおこしてその跡を継いだ(京都郡誌)「太宰管内志」によれば,塔頭として可休庵・慶徳院があった明治3年の人別改帳によると,竈数42・人口187(男94・女93),また無高百姓7同18年の地積は田18町余・畑3町余・宅地2町余(京都郡誌)同20年松田村の一部となる現在は勝山町松田の通称
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7439039
最終更新日:2009-03-01




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