ケータイ辞書JLogosロゴ 鬼童村(近世)


福岡県>柳川市

江戸期〜明治9年の村名筑後国山門【やまと】郡のうち西流する沖端川が南へ大きく曲流する左岸に位置する柳川城下鬼童原のうちで,宮永組に属す慶長年間田中吉政が築城に際して,北西の郭を拡げるために沖端川をほぼ直角に掘り替え,低地化した旧河道がこの鬼童原である村高は,「正保国絵図」318石余(うち新田4斗余),「元禄国絵図」318石余,「天保郷帳」321石余,「旧高旧領」487石余明治5年の反別は24町余(郡郷/立花家文書)文政12年の庄屋に十介の名が見える鍛冶屋町との出入口を鬼童口といい,同所は明治6年からは元町と称するようになる同9年筑紫村の一部となる現在の柳川市筑紫町のうち
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7439116
最終更新日:2009-03-01




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