ケータイ辞書JLogosロゴ 鹿毛馬(中世)


福岡県>頴田町

 鎌倉期から見える地名。筑前国鞍手郡粥田荘のうち。鹿毛馬郷とも見える。永仁元年11月粥田荘政所が同年の預所用米目録を注進したなかに「麾(鹿毛)馬」が見え,2町余で12石余と記されている(高野山文書/嘉穂地方史古代中世編)。粥田荘は高野山内金剛三昧院を領家としており,当地も同院の支配下にあった。下って戦国期,永正元年6月28日の年紀をもつ厳島神社所蔵棟札に「大日本筑前州鞍手郡粥田庄鹿毛馬郷」と見え,清原兼通なる人物が当地の厳島神社宝殿を再興したことが記されている(嘉穂地方史古代中世編)。天正15年豊臣秀吉の九州平定後は小早川隆景領となり,文禄4年12月1日秀吉が隆景に与えた知行方目録には「かげのま村」410石6斗と見える(小早川家文書1/大日古)。なお,年月日未詳の宇佐宮弥勒寺喜多院所領注進に筑前国内として「加毛馬」が記されており(石清水文書2/同前),当地を指しているのであれば当地に喜多院領が存在したことになるが,詳細は不明。天正年間の「指出前之帳」には「鹿毛馬村」と見え,田32町余・分米395石余,畠3町余・分大豆15石余であった。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7439147
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ