ケータイ辞書JLogosロゴ 河西郷(中世)


福岡県>玄海町

鎌倉期〜戦国期に見える郷名筑前国宗像【むなかた】郡のうち乾元2年6月,図師幸秀が作製した宗像社領田代并立用以下目録に河西を含め,「已以十三ケ郷」とある次いで,建武元年3月20日の雑訴決断所牒に河西が見えている(応永社家文書総目録/宗像郡誌中巻)鎌倉期に原型が成立した宗像宮年中諸神事御供下行事の,「六月晦日 御祓」の中には「引敷二膳〈上八村河西〉」とある(神道大系神社編宗像)室町期に入って,応永神事次第の永享9年3月7日の追記部分中,「白馬出郷之次第」の中に河西郷があり,9月9日の「長日立用米事」には「河西郷二石六斗九升六合,内仏成寺二石一升六合,清水宰相六斗八升」とある(同前)戦国期に入って,永禄4年6月1日,宗像氏貞が宗像神社の「諸社之御祭礼立用米」に寄進した100町の中に,「河西郷参町」が見える(宗像神社文書/宗像郡誌中巻)次に,天正6年6月1日の第一宮御宝殿御棟上之事置札の「御領中人夫之事」では,内殿郷などと一手に編成されている(神道大系神社編宗像)なお,天正15年に筑前国を宛行われた小早川隆景は,宗像神社に社領を寄進しているが,その中に河西郷がある天正16年11月21日の宗像社社官注文では,「河西郷田七拾八町三段」「河西郷畠拾六町八段大二十歩 分古銭拾弐貫四百四拾四文」,天正17年11月5日の宗像社領目録では,惣田数83町5反94歩,現田数75町7反大6歩,惣畠数19町110歩,現畠数16町6反半50歩,文禄2年10月10日の宗像郡社家半済目録では,河西村とし,田数83町5反90歩,現田数74町4反82歩とある(宗像文書/宗像郡誌中巻)文禄4年の筑前鞍手宗像御牧三郡内知行方目録帳では,鞍手郡「かさいこう」として1,325石2斗とある(小早川家文書1/大日古)「宗像神社史」では,河西郷を玄海町田島など,宗像神社の南方に広がる水田などを含めた地であろうとする
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7439154
最終更新日:2009-03-01




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