ケータイ辞書JLogosロゴ 勝浦(中世)


福岡県>津屋崎町

 室町期から見える地名。筑前国宗像【むなかた】郡のうち。当地には宗像社の末社勝浦明神があり,鎌倉末期に成立した宗像大菩薩縁起に「勝浦明神」と見え,南北朝期の正平23年の宗像宮年中行事に「勝浦明神」「〈勝浦〉年毛社」が見える(神道大系神社編宗像)。確実な地名としては,応永神事次第に「小勝浦神人」「大勝浦年毛社」「勝浦」とあるものである。この史料から見ると,勝浦は小勝浦・大勝浦の2地区に分かれていたようである。また,同神事次第の永享9年3月7日の追記部分中,「白馬出郷之次第」で「三所宮長日御供仕立申薪・野菜・塩・和布等事」によれば,勝浦からは馬や塩が宗像社に上納されていた(同前)。下って,永禄4年6月1日,宗像氏貞が宗像神社の「諸社之御祭礼立用米」に寄進した100町の中に,「奴山郷拾五町〈勝浦村加之〉」とある(宗像神社文書/宗像郡誌中巻)。さらに,天正6年6月1日の第一宮御宝殿御棟上之事置札の,「浦巡人夫之事」の中で,「任社例,小開・湊・今空閑・勝浦浜共ニ三ケ浦三人三日宛勤之」とあるほか,「御造営中木屋肴調之事」の中に,勝浦があって「二日ニ一度送之」とある。また「塩之事 勝浦村ヨリ御用次第勤之」とある(神道大系神社編宗像)。このように漁村である勝浦は,塩・肴といった独自の役割を宗像神社本殿造営で果たしている。天正10年3月16日の勝浦村御米注進状では,6石2斗5升8合が注進されており(嶺家文書/県史資料2),天正年間の「指出前之帳」によれば,当村の地積・分米は田52町余・390石余,畠29町余・243石余。文禄4年の筑前鞍手宗像御牧三郡内知行方目録帳では,宗像郡かつら村として834石とある(小早川家文書1/大日古)。なお,勝浦の勝浦潟は有名で,宗祇の「筑紫道記」に「かつら潟」と見える(群書17)ほか,紀行文や歌に当地は散見する。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7439230
最終更新日:2009-03-01




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