ケータイ辞書JLogosロゴ 勝野郷(中世)


福岡県>小竹町

 鎌倉期〜室町期に見える郷名。筑前国鞍手郡粥田荘のうち。永仁元年11月日の筑前粥田荘預所用米目録案の中に勝野があり,2丁2反で,15石9斗6升7合8勺とある(金剛三昧院文書/鎌遺18416)。ついで,嘉暦2年12月16日,筑前前司入道にあてた鎮西探題御教書には,「筑前国粥田庄勝野郷先名主四郎義直事,号右大将家御教書,構謀書之由,被成関東御教書之間,為罪名沙汰可召進之旨,先日被仰之処,不見在云々,随見合可召進其身之由,可被相触筑前国中也」とある(金剛三昧院文書/高野山文書5)。将軍(源実朝)家御教書と号し,謀書を構えたという粥田荘勝野郷先名主四郎義直が逐電したことによって,その身を召し進むべきことが筑前国中に触れられている。同様に豊前国中に相触れられたことが,同日付の上総左近大夫にあてた鎮西探題御教書からわかる(同前/高野山文書6)。室町期に入って,応永22年6月24日の日付をもつ筑前田副・絹干二所大明神鐘銘には,「大日本国筑前州鞍手郡粥田庄勝野郷」の銘文がみえている(大日料7-23)。なお,天正年間の「指出前之帳」によれば,勝野村(新田村と合わせて)の地積・分米は,田76町余・689石余,畠22町余・105石余,合計98町余・987石余である。また文禄4年12月1日の筑前鞍手宗像御牧三郡内知行方目録帳には,「かつの村」がみえ,987石7斗2升とある(小早川家文書1/大日古)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7439243
最終更新日:2009-03-01




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