ケータイ辞書JLogosロゴ 金田村(近世)


福岡県>金田町

 江戸期〜明治22年の村名。田川郡のうち。小倉藩領。金田手永に属す。村高は,「正保国絵図」1,010石余,「元禄国絵図」1,207石余,「天保郷帳」1,697石余,「旧高旧領」1,601石余。元和8年の家数159・人数435,牛49・馬35(人畜改帳)。嘉永5年の家数172・人数804,牛77・馬10(方城町史)。享保飢饉の餓死者は107人(開善寺過去帳)。元禄年間頃にはすでに石炭を採掘し,納税していた(金田町史)。寛政2年には石炭の積出しが相当量にのぼり,御米船の通航に支障するとの訴えがあった(同前)。慶応2年萩藩が小倉へ攻め込んだ時,小倉藩は田川郡に退き,藩主の夫人が金田手永大庄屋六角家に滞留した(同前)。明治初年の物産は米1,036石・麦520石・藍葉500斤・種子20石・生蝋8,000斤・清酒30石・石炭596万斤。寺社は清石山碧巌寺,稲荷神社(豊前村誌)。同6年昭倫舎を学制に則した小学校とした。同22年神田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7439267
最終更新日:2009-03-01




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