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- 金丸名(中世)とは
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![]() | 金丸名(中世) 鎌倉期~戦国期に見える名【みよう】の名豊後国国東【くにさき】郡田染【たしぶ】荘のうち国東半島西部,桂川中流域の田染盆地から北東部の丘陵地に及ぶ一帯現在の豊後高田市大字相原字見世【みせ】・両田【ふたた】,大字池部【いけべ】の南東部の平地付近に比定文永2年6月の政所惣検校宇佐(益永)行輔申状案に,「一,田染大能丸・金丸名等」とあるのが初見(益永文書/県史料29)政所惣検校宇佐行輔の所領として,子孫に相伝南北朝末期,当名は半済によって折半され,半分は番長永弘氏,半分は高田勘解由に与えられたが,応永2年探題の沙汰として永弘重輔に,光並・行成・恒任・永正などの名々および須加牟田・来縄【くなわ】郷内小野名とともに沙汰し付けられた(永弘文書/大友史料8・9)大友親綱は,のちこれを田染図書助に安堵した(同前/大友史料10)天正7年12月7日の帯刀紹慶質地預り状案に,「かな丸」とあるのが終見(永弘文書/大友史料24)名中に,いけへこくうさうの前・わたし田・さるはミ(大字相原字サルバミに比定)・大石河原(大字相原・大字上野の両者に大石川原あり)・うゑの(大字上野)・池辺(大字池部)・ふしの・その田(大字相原字園田)・わせ田(大字相原字早稲田・東早稲田)・両田【ふたた】などの地名があり(永弘文書/大友史料11・県史料4),大字相原には,字金丸田も残存する |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」